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EDの風車

アニャエトラ別館

三銃士サイト「アニャン氏とエトセトラ」の別館。サイトの裏話とか独り言とかマイブームとか。

1ヶ月

冷血だと自覚のある私が、まさかこんなに引きずってるとは思ってなかったですけども。
1ヶ月ぶりに辛いです。だいぶ。
X見てたら、この先もっと辛くなる、と予言されてる方もいて、そうなの!?と震えてます。
先日、FM COCOROでこんな企画がありました。これらの番組をタイムフリーで2日くらいかけて全て聴きました。
そして、録音したいものは録音し、必要部分だけを切り取る作業をしました。
前回までに録音したものも含めて、今のところ手元に全部で41番組。(録音してない番組も10くらいはあったかも)
たくさんの番組で追悼してくれたものです。

radikoのプレミアムはかれこれ5~6年入ってますが、そもそもはKANちゃんのラジオを聴くためでした。
それまでは大阪と北海道のラジオ番組は指をくわえて眺めてるしかなかったですからね。
ありがとうradikoプレミアム。
ていうか、意外とそんなに長くリスナーやってたのか私。

長いことファンはやってますけど、KANちゃんのパリ以前はファンクラブとかも入ってなかったし(最後の数ヶ月だけファンクラブに滑り込みで入ったくらい)、やまかつTVとかも見てなかったし、本当にアルバムを買い集めて、時々ライブに行くだけのファンでした(若かったしお金も無かったし)。
アーティストの中では一番推してましたけど。
純粋に歌詞と曲が好みだっただけで、KANちゃんの人となりはあまり知らなかった。

だから、ずっとKAN呼びしてました^^;
ちゃんを付けるようになったのは、たぶん、ここ10数年くらいの話。
(このブログの過去の記事でのKANちゃん呼びは、10年前くらいに読んでて違和感ありすぎたので全部修正したんだと思うw)

KANちゃんがパリにいた頃(2004年頃)、私もインターネットデビューしてKANちゃんのことをチェックできるようになり、ラッキーラクーンも通販し、公式サイトができ、無事に有料会員となり、そのあたりからきちんと追うようになりました。
CDのブックレットとか、ラッキーラクーンの文章でも片鱗を覗かせてはいましたが、公式サイトあたりで、こんなふざけた人だったのかとようやく知ることにw

以上、私のKANちゃん歴でした。

話が逸れましたが、今になってこれだけ必死にラジオを録音してますけども、KANちゃん本人が出演していたラジオは全く録音してこなかったっていう。
病気を公表されてから、録音しようか迷ったんだけども、それこそ楽観してないことの証明になってしまいそうで躊躇してしまったんだよな…。
絶対に克服して帰って来ると信じてたんだよ、先月までの私は。


そして、1ヶ月経って、だんだん知らされるエピソード。

KANちゃんはこだわりの人で、妥協しない人で、周りの人たちが振り回されてるのがデフォルトで、めんどくさいと思いながらも皆さん結果的に付き合ってくれるし、最終的にいいものが出来上がっていたし、ファンとしてはそれが正解だと思ってました。
でも実はそんな自分に苦悩してたらしい。

スタッフさんを巻き込む以上は、採算が取れないのは現実的じゃないですし。
頑張ったところで結局お蔵入りということもあったらしい。
そのジャッジを下すのはKANちゃんで。
その時、妥協できない自分に苦しんでいたとは知らなかった…。
それもあって、何でも自分でやろうとしていたと。

もっと確固たる信念で押し通していたイメージだったし、それができるのが人徳だと思ってたんだけど。
いや、もちろん人徳なんだけど。
悩んでいたのか…。
超人を装った人間臭さが見えて泣けた。


あと、がんが見つかった時、実は既に全身転移していたらしいという話。
その上でのあの公表だった。
楽観してください、っていう。

考えてみたら、治る見込みがあれば公表しないで隠し通すよね、KANちゃんなら。
ファンにはキラキラの部分しか見せないバッキバキのアイドルだもん。

隠し通せないってわかってたってことなのか。
だから洒落にならないご報告で、私達に覚悟を与えてくれたのかも。
急な悲しみにならないように。

それでいて、直前まで悟らせない努力も見られたり。
10月に、免許の更新したって書いてたり。
ラジオでは新企画を発案してみたり。

全て今思えば。
私は本当に楽観していた。KANちゃんの言う通りに。

このことについて語っているポストをたくさん読んだんだけど、それでやっと私もわかった。
全てはストキンに対する優しさ。
先日の森田さんのブログも、リアルなKANちゃんの様子を教えてくれるものでした。
辛い…。
本当はKANちゃんは笑って送り出してほしかったんだろうけどね…。辛い部分もやっぱり知っておきたかったので、感謝してます。

最後のパリ行きは、ラッキーラクーンに寄せるコラムのため、というのもあったんだね。
書き上げる気まんまんだっただろうにな…。

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